水道みち
大和観光協会の「河野隊員の体験記」より抜粋しました。トップページにリンクを貼り付けましたので、詳しくはそちらからお入りください。
2.09 さくらの散歩道
この散歩道は,地下に横浜市へ水を送るための水道管(直径:1.5m,数量:4本)が埋設されているため人や自転車だけが通れる道である。 この水道みちは,大和市の場合,公園として扱っている。 ●場所・・・・相模原市との境の「内山地区」(小田急線中央林間駅の北東部)から「つきみ野地区」を通り境川西岸の「公所(ぐぞ)」に至る道路(公園)である。(この散歩道の北側は,「つるま自然の森」の北東部にあり) ●全長・・・・約1.7km程度 (幅:平均,約12m程度)。次の3地区にほぼ対応して特徴ある小径(こみち)名が付けられている。 〇内山地区・・・・約350m程度⇒「さえずりの小径」 〇つきみ野地区・・約725m程度⇒「ふれあいの小径」 〇公所地区・・・・約650m程度⇒「憩いの小径」 ●内容・・・・各小径(こみち)は,各種の樹木や草花が植栽されており,その名札が設置されている。 なお桜の木は,全体で約130本程度と少ないものの種類の多いのが特徴で約10年程度余の樹齢と思われる。(平成15年9月調査) 〇さえずりの小径・・特に野鳥が賑わう所である。また,ここで見られる野鳥と,その時期の説明看板がある。また大正4年(1,915年)まで当水道で使用されていた「仕切弁」が展示されている。 [仕切弁:36インチ(910mm),明治44年(1,911年)英国製] 〇ふれあいの小径・・特に遊具,芝生広場,藤棚等が充実している所である。また安藤泉作(平成2年製)のなかよしの像「さんぽ」(鍛金)が設置されている。 (なかよしの像:平成12年度大和市街づくり賞の受賞作品) 〇憩いの小径・・・・特に健康・休養施設が充実している所である。また樹木の種類・その開花時期の説明看板がある。 (注)この散歩道は,トイレがないので例えば次の箇所にあるトイレの場所などを把握しておくことを勧めたい。 ・東急田園都市線「つきみの駅」の直ぐ傍の公衆トイレ。 ・つる舞の里歴史資料館,つきみ野コミセン及び,つきみ野学習センターのトイレ。 (ただし,この3箇所とも毎週休館日がある) ●歴史・・・・横浜は,明治時代に入り人口が日増しに増加し,市街は急速に発展してきた。当時の住民は,水を求めて井戸を掘ったが,海を埋めたてて拡張して来たため塩分を含み飲み水に適さなかった。 そこで神奈川県は,英国人技師H.S.パーマー氏を顧問として道志川に水源を求め,明治18年(1,885年)に近代水道の建設に着手して明治20年(1,887年)9月に完成した。 この横浜市の水道は,日本で初めて近代水道として明治20年(1,887年)10月17日に給水を開始した。その後,発展を続ける市勢の水需要に対応して8次にわたり拡張工事が行われた。 (この道志川の水は,横浜市水道局西谷浄水場へ送られている) ●「相模野第149遺跡」の説明看板 〇看板場所・・・「ふれあいの小径」内に看板設置。ただし外側の道路側に向けて設置されているため眼に付き難い。〇内容・・・この遺跡は,昭和43年,相模考古学研究会により発見されたものである。この遺跡は,縄文草創期の二つの文化層及び旧石器時代の一つの文化層から出土された。 〇提案・・・この看板は,説明内容が分かるように「さくらの散歩道」内の散策道に向けて設置変更して欲しい。 |
2.10 大和歩行者専用道 | ||
大和歩行者専用道の北側出入口は,「さくらの散歩道」(さえずりの小径)の北側出入口の南側にある。 今回は,この専用道を散策していないが,この貴重な専用道を次に敢えて紹介する。 この大和歩行者専用道は,畑地灌漑用水路を昭和48年から埋立て昭和58年度に完成したものである。(市内全線,約6km程度)その後,各地区毎に花壇などの整備が順次整備された。 この専用道は,大和市内に断続的に設置されており北から南にかけて次の8地区に大別される。この専用道の両側に各種樹木が植えられているため季節毎の風景の移り変りを楽しめる。 〇下鶴間・つきみ野・南林間・鶴間・深見・深見台・桜ヶ丘・下和田地区 (参考)相模原台地は,古くから水無き台地といわれ,雨水に頼るのみで,日照りが続けばまったく収穫のない農地であった。 県農政部は,昭和20年初頭に相模原台地の広大な畑地に相模川(相模湖)から水を引き入れ,豊かな穀倉地帯の開発を計画した。(さらに当時は,第二次大戦後の食料事情の緩和を図るべきとの切実な要求も加味された) 畑地灌漑用水路は,相模原市から大和市・座間町・海老名町・綾瀬町をとおり藤沢市に至る大規模なものであったが,昭和23年から工事を開始し,昭和39年3月に工事を完了した。 ところが県農政部は,昭和45年度末,急速に畑地が宅地へ転換していく時代の変遷を迎え,畑地灌漑用水路を廃止して歩行者専用道として整備することを決定した。 |